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歴史/文化

ハワイ誕生からカメハメハが建国したハワイ王朝までの歴史を学ぶ

ハワイ諸島の歴史

北緯20度付近に位置するハワイ諸島は、地質年代としてはとても若い大地で、ハワイ島のキラウエア火山からの噴火は1983年より止まる事なく、今も溶岩が流出し続けています。大陸からは何千キロも離れていますので、クック船長が島々を見つけて西欧人が来島する前は、蜜を吸う鮮やかな色の小鳥など、この土地固有の動植物も多数残っていたようです。

キラウエア火山 (写真提供:ハワイ島観光局)

キラウエア火山 (写真提供:ハワイ島観光局)

この島々に人間が住むようになったのは紀元後の事。最初にたどり着いたのは、ポリネシアの東部、マルケサスからの人々でした。その後、紀元後千年から千三百年にかけて、タヒチの島々からの人々が移住し、片道四千キロの大海原を往復する交流が続きました。従って現在伝えられているハワイ文化は、タヒチのそれが基になっていると考

えられています。そして、ハワイアンの人々は、元を正せばアジア系の人種、日本人と同じ「モンゴロイド」だと、考古学者は考えています。

オアフ島クアロア付近に到着したポリネシアカヌーの想像絵 (写真提供:ビショップ博物館展示の絵画より)

オアフ島クアロア付近に到着したポリネシアカヌーの想像絵 (写真提供:ビショップ博物館展示の絵画より)

カメハメハ大王 (写真提供:ビショップ博物館)

カメハメハ大王の銅像

カメハメハ大王の銅像

卓越した力の王カメハメハ

タヒチとの交流が途絶えてから数百年、ハワイと外界との交流はほとんど無かったと思われます。十八世紀半ばになり、ハワイ島北部のコハラに、卓越した力の王が誕生しました。十二世紀にハワイに来たタヒチの神官「パーアオ」から数えて二十八代目に当ると伝えられている「カメハメハ」がその人でした。ハワイ島からマウイ島、オアフ島に勢力を広げたカメハメハは、島々を統一し1795年に王国を創り上げ、1883年にリリウオカラニ女王が王権を放棄するまで、八代の王がハワイを治めていました。

そして、王朝が終わりを告げた後のハワイは、共和国、そして米国の準州として、その歴史の変遷をたどり、1959年(昭和34年)にアメリカ合衆国五十番目の州になり、現在に至ります。その貴重な歴史はハワイの島々の随所で見る事が出来ます。 現在、西欧人が来島する以前の、ハワイアンの生活の佇まいを残しているのは、ハワイ島ワイピオの谷か、マウイ島北部のカハクロアではないでしょうか。

ハワイ王朝の歴史

ホノルルのダウンタウン、イオラニ宮殿前に建つ大王の銅像はあまりにも有名ですが、ハワイ島を訪ねると、マウナケアビーチホテルの北、カワイハエ港近くに、大王が島々を統一する前に造り上げた「ヘイアウ」(祭祀場)の壮大な石組みが今でも残されています。

大王の息子にあたるカメハメハ三世の頃、王国は捕鯨基地として栄えていました。その繁栄の様子を今に残しているのは、マウイ島ラハイナの港です。
大王の孫にあたるカメハメハ四世の館は、王妃の名を取り「エマ女王の夏の離宮」としてオアフ島パリハイウエー沿いに在り、王家の生活ぶりを垣間見る

日本を訪問した事もある七代目の王、カラーカウアの銅像はワイキキの小さな公園に置かれています。1881年(明治14年)に横浜に到着し、明治天皇に謁見をして、日本からの移民の要請をしています。その結果、1885年以降、政府が正式に認めた「官約移民」制度で多くの日本人がハワイに移住し、砂糖キビ畑での過酷な労働に耐え、現在の日系人の確固たる地位を築いていきます。毎年4月にハワイ島ヒロで開催されるフラの祭典メリー・モナークはこの王の事を指しています。

「プウ コホラー」へイアウ

「プウ コホラー」へイアウ

エマ女王の夏の離宮

エマ女王の夏の離宮

カラーカウア王

カラーカウア王

リリウオカラニ女王

最後の女王、リリウオカラニの住んでいた館は現在、ハワイ州知事の公邸として、ホノルルのダウンタウン、セントアンドリュー教会の横に、その優雅な姿を残しています。アロハオエが、この女王の作詞作曲である事は皆さんもご存知でしょう。

ハワイは、豊かな自然と文化に満ちた島々です。次回の旅行には、「ルックJTB」でハワイの島々の歴史探訪をお楽しみ下さい。

リリウオカラニ女王

リリウオカラニ女王

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