戦乱の終わりと統一の始まり(ハワイ島 プウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園)

2015年09月11日

テーマ:ハワイの文化・歴史

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プウコホラ・ヘイアウとマイレキニ・ヘイアウ

 

コナ国際空港から北へ車で約30分。
プウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園はカメハメハ大王、
そしてハワイ王国を語る上で、とても重要な場所の一つです。

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公園入口

 

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カイルア・コナとプウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園

 

プウコホラ・ヘイアウとは?

 

ハワイ語でプウは丘、コホラはクジラ。
ヘイアウとはハワイアンによって築かれた神聖な場所。
さしずめ “クジラの丘にある神聖な場所”といった意味でしょうか。

 

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プウコホラから見た海

 

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ハイウェイから見たプウコホラ

 

いつからプウコホラと呼ばれていたのでしょう?

 

元々ハワイアンは文字を持っていませんでした。
18世紀後半、ハワイにヨーロッパ人が訪れるようになると、
ようやく文字としての記録が残り始めます。
そして、少なくとも1820年の記録には
プウコホラという言葉が登場するようです。

 

名前の由来は分かりませんでした。
丘からクジラが良く見えたのか、かつてクジラが漂着したからか、
捕鯨に関する理由からか、それとも別に理由があるのか。
ご存知の方、ぜひ教えてください。

 

公園の主な見どころ

 

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ビジターセンター入口

 

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プウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園の衛星写真(グーグル・マップ)

 

ビジタ・センター

最初に立ち寄るビジターセンターでは、
公園内の史跡ハワイの文化に関する展示物を見ることができます。
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ビジターセンター外観

 

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ビジターセンター内部

 

コナネと呼ばれるハワイアンのゲームです。
二人で対戦するハワイ版のチェスといったところでしょうか。
ルールさえ分かれば遊び方は簡単。是非チャレンジしてみてください。
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コナネ・ボード

 

パークレンジャーに声をかければ、
日本語の案内書を借りることができます。
それを見ながら散策すれば、目の前に残された史跡の裏側、
歴史的な背景も知ることができます。

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日本語の案内書

 

散策路を歩きはじめると、高台にある石垣が見えてきます。
公園の名前にもなっているプウコホラ・ヘイアウです。
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写真右上にプウコホラ・ヘイアウ

 

プウコホラ・ヘイアウ

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ハワイ統一を目指すカメハメハが、
高名なカフナ(神官、占い師とも訳される)の予言に従って
1790〜1791年にかけて築いたヘイアウです。
祭っていたのは戦いの神クー

 

ヘイアウ完成後、カメハメハは当時熾烈な争いを繰り広げていた
従兄弟のケオーウアを呼び寄せます。
ケオーウアは部下と共に殺害され、
ヘイアウに生贄として捧げられたようです。

 

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プウコホラ・ヘイアウ 立ち入りはできません

 

マイレキニ・ヘイアウ
プウコホラ・ヘイアウの海側の斜面にあるのがマイレキニ・ヘイアウです。

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プウコホラ・ヘイアウより古い時代に築かれたと考えられています。
かつては多くのKi’i(神の偶像)が並べられていたこと、
カメハメハの時代には艦砲が設置され城塞として用いられていたようですが、
あまり情報は残されていないようです。

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マイレキニ・ヘイアウから見上げた場所に、
プウコホラ・ヘイアウがある様子が良く分かります。

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マイレキニとプウコホラ

 

ペレカネ

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かつてはカメハメハや王族が暮らす地、外国との交易の中心地でした。
カメハメハ二世が王位を継ぐ準備をした地、
カメハメハ四世の妻であるエマ王妃の出生の地としても知られています。

 

今となってはヤシやキアヴェなどの植物等しか見ることはできません。
しかし、ここはハワイの歴史にとって、まぎれもなく重要な場所の一つです。

20_PP-35-7-033-00001
ペレカネから見たプウコホラ・ヘイアウ 1889年「Hawaii State Archives, Photograph Collection , PP-35-7-033」

 

ハレ・オ・カプニ・ヘイアウ

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鮫の神を祭ったヘイアウと考えられています。
水没しているため、実際には見ることはできません。
築かれた年代も正確な場所も不明とのこと。
1883年にGeorge E. Greeley Jacksonによって
描かれた地図には、ハレ・オ・カプニ・ヘイアウの残骸として
記載されています。

 

アラパイの岩

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カメハメハ大王が座った岩、
またカメハメハの部下のアラパイがもたれかかった岩、
と伝えられています。

 

プウコホラのちょっと怖い話

 

プウコホラ・ヘイアウには戦いの神であるクーが祭られていました。

このようなヘイアウは、ルアキニ・ヘイアウと呼ばれています。
戦いの勝利が祈られ、生贄が捧げられました。
この場合の「ルアキニ」は地名やヘイアウの名前ではなく、
ヘイアウの持つ性質を意味しています(と、私は理解しています)。

24_PP-35-7-026-00001
空から見たプウコホラ「Hawaii State Archives, Photographer: 11th photo section Air Service U.S.A., Call number: PP-35-7-026」

 

プウコホラ・ヘイアウ内部を描いたイラストは残されていません。
ごく限られた王族やカフナしか立ち入ることが許されていなかったのが、
理由の一つと考えられているそうです。
しかし、他のルアキニ・ヘイアウのイラストが残されています。

 

1778年、John Webberによって描かれたイラスト。
カウアイ島のワイメアのヘイアウとのことです。
左から家屋のような建築物、神を模した縦長の偶像、
最も高い祭壇、(de)そして生贄をささげる場所などが描かれています。
25_PP-35-7-042-00001
カウアイ島のワイメアにあったヘイアウ「Hawaii State Archives, Photographer: Webber, Call number: PP-35-7-042」

 

1782年にWilliam Ellisによって描かれたイラスト。
横一列に並べられた偶像(Ki’i)が目をひきます。
良く見ると、木の柵には人の頭骨のようなものが描かれています。

26_Kealakekua_Bay_heiau_illustration
ハワイ島ケアラケクア湾にあるヘイアウ

 

1792年-1794年に訪れたArchibald Menziesの記述によると、
ケオーウアと彼の部下の頭骨
プウコホラ・ヘイアウの柵に飾られていたようです。
当時はイラストのような情景が見られたのかもしれません。

 

…ちょっと怖くなってしまいましたね。

 

ケオーウアの死後、カメハメハはハワイ島を手中に収めます。
1795年にはマウイ島、ラニカイ島、モロカイ島、オアフ島を征服。
1810年にカウアイ島とニイハウ島がカメハメハに服属することで、
ハワイ諸島は統一されました。

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カメハメハ大王像

 

プウコホラは、戦乱の時代が終わりを告げ、
ハワイ統一へと時代が流れ始めた場所と言えるかもしれません。

 

JTBハワイ チキラ(ビショップ・ミュージアム日本語ドーセント)

 

参考サイト:
http://www.nps.gov/parkhistory/online_books/kona/history7b.htm
参考書籍:
Van James(2014), Ancient sites of Hawai’i Revised Edition, Mutual Publishing


★今回ご紹介した情報は予告なく変更される場合があります★
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